とりあえず日記

"普通二輪は小型二輪に限る" ドラえもんと同い歳 ジョウト地方コガネシティ在住

のび太と緑の巨人伝


世間の評価からは
おいてけぼりな自分ですが
結構楽しめたのは何故だったのか?
考えてみた


私にとって映画ドラえもん
イベント・お祭り
であるということ


別に内容がよかろうが悪かろうが関係ない
"観に行った"
という行為と、そこまでに至るプロセスと
その後の空気を共用する為なのである


何より
親子2代に渡って
ドラえもん映画を観る時間を
共有できるということに感謝もしたい


ネットの辛口批評はイチイチ尤もで
評価すべきところもキチンとされてる
 #ジャイ&スネの絶壁遊び


皆よっぽど悔しかったんだろうなと思う
過去の渡辺歩カントクの出来が
それなりによかったから期待もしてたんだろうと思う


そこが違ってたのが理由だったのかも


そもそも
渡辺歩カントクのドラえもんって
ワタシは結構異質感をぬぐえないんやけど
 結婚前夜とかおばあちゃんの思い出とか
カントク自身の眼で"ドラえもん"を捉えてるんだなぁと思うので
許容できてる


皆が"ワカラン"と評する今回のストーリーにしても
ワタシは勝手に補完してしまってた
それは何かと問われれば
過去の藤子F作品や他の体験から
こうなってるんだろうと自分なりの解釈をしてた


しつこいほどのギャグやシモネタの多さも
ギリギリの許容範囲で笑ってしまったし
泣かせに来るところで、涙があふれてくるのは
まぁ相変わらず安っぽい単純な感受性だなぁと
感じる次第で


確信犯的なジブリちっくなところも
米国資本のダメダメアニメ会社の露骨なパクリより
よっぽど潔い気もした


キー坊が"ガロン"のピックっぽかったのも
ジジがユパ様で
森の民のネーミングや
共同体が風の谷っぽいとこも
"すり抜けながらかっさらう"のがドーラの操縦する
フラップターまんまなのも
東京が"みどりの守り神で"
会議が"征地球論"っぽいとこも
赤いジョウロが
スピルバーグユダヤの女の子っぽかったのも
堅苦しく考えないで許容できたな


今回自分はある意味
つくづく幸せだったのかもと思うようになった